対談/vol.16

しょくスポ対談

vol.16 金丸 弘美 さん

今回のゲストは、食環境ジャーナリスト・食総合プロデューサーの金丸弘美さんです。
各地の行政機関と連携した食からの観光作り、特産品のプロモーションなどを手掛ける金丸さん。
その知識の豊富さとプレゼン力にいつも脱帽させられます。
現場に出向き、地のものを食し、見聞きし、体感したことを活字にしたり、お話されるので、
言葉に重みが生まれ説得力が増すのでしょう。
食育や地域の食文化、環境に関心がある方はもちろんのこと、それ以外の方もぜひご覧ください!

金丸 弘美(かなまる ひろみ)


食環境ジャーナリスト・食総合プロデューサー
「食からの地域再生」「食育と味覚ワークショップ」
「地域デザイン」をテーマに全国の地域活動のコーディネート、アドバイス事業、取材および執筆活動を行う。
2009年の兵庫県豊岡市のコウノトリの環境政策と食文化と健康、エコロジーをコラボレーションするワークショップは高い評価を受ける。

主な著書に『「地元」の力 地域力創造7つの法則』
        (NTT出版)
       『田舎力 ヒト・物・カネが集まる5つの法則』
        (NHK生活人新書)および執筆
       『給食で育つ賢い子ども』(ソトコト新書)
       『創造的な食育ワークショップ』(岩波書店)

ブログ:スローライフ 旅日記
※プロフィールは対談公開時(201012月01日)の
  ものとなります。

ライフワークをみつけたきっかけは保育園の送迎

-金丸さんの現在のお仕事と今に至るまでの経緯を教えて下さい。
今の仕事は、食の総合プロデユーサーとして、食育と地域づくりを連携させた食のワークショップのプラニングから、プロモーション、ツアーへの展開といった食のアドバイザー事業です
また学校を対象とした公開授業、大学から幼稚園まで各学校での食の講師などをしています
ラジオ、テレビ出演、講演活動もしていますね。

今の仕事に至るまでですか、20代で新美容出版という美容の出版社にいました。僕がメインでやるようになったのは、「美容と経営」という経営雑誌でした。
最初はたまたま募集があったから美容雑誌に入ったのですが、
週末や平日の夜は、趣味の演劇か映画ばかり見ていましたね。
映画は年間200本以上見ていました。
10年してから会社を辞め、「アイランズ」という作家の高平哲郎さんの事務所に入りました。
 

 ▲イベントの様子
-20-30代から演劇や映画の鑑賞ですか?
そこで新美容時代に知り合ったのが佐藤B作さんや渡辺えりさんでした。
今は演劇界の出身としてTVにも登場している人たち。
そこで東京ヴォードビルショ―の舞台の文芸部をやっていた高平哲郎さんを女優の松金よね子さんから紹介されて
「一緒にやらないか」といわれ、演劇が詳しかったので、しばらく松金よね子さんと熊谷真実さんのマネージャーをやっていました。マネージャー兼、演劇評論家兼、映画評論家兼、演劇製作助手…。
高平哲郎さんのところで7年くらい仕事をし、フリーランスになり、フリーランスのライターの集まりライターズネットワークの勉強会を立ち上げました。

その頃子どもが生まれ、保育園の送り迎えをしていた時に
『今はアレルギーの子が1/3位いる』という事を知りました。
それを女房に話したら、
「私は10代の頃アトピーで苦しんで、食改善をしてアトピーを治してあなたと結婚したのよ。」と言われました。
その後、日経ヘルスの創刊でたまたまアトピーの特集を組んだんです。
全くわからなかったのですが、取材を進めると、私達が食べている物がとんでもない物だと気がつきました。

豊岡のコウノトリに出会うまで


そこから、お取り寄せガイドを作り、食の現場へ行くようになりました。
食の現場に行ってもよくわからなかったのですが、稲作農家の岩澤信夫さんと出会い、「直接お米を売りたい」と言われたのをきっかけに直接消費者に『見せる農村ツアー』を思いつき、15年位前から行うようになりました。

農村ツアーは完全ボランティアでしたが、そこからメダカの学校というNPOができました。
さらに、岩澤さんに「ドジョウがいる、トンボがいるから見に来てくれ」と言われ…いるのが当然だと思いながら見に行くと、一般のほとんどの田んぼは実は農薬汚染のせいと田んぼに冬場に水がないのと、水路のコンクリート三面張りでメダカやどじょうやホタルなど小さな生き物がいるのが当たり前ではなくなっている現状を知りました。

最初は、岩澤さんに指導をうけた農家はできるだけ経費削減のつもりで農薬や化学肥料のの使用を控えていたんです。するとトンボや鳥が増えてきた。何故だろう?ということから環境配慮の取り組みが始まりました。
▲コウノトリ育むお米
福島でもやってみると、白鳥が飛んできたりしたんです。
宮城県でも田んぼに白鳥が戻ってきました。宮城県の農家から、トキを放鳥させた佐渡やコウノトリを放鳥させた豊岡へと繋がりました。
15年たってようやくそういった取り組みが広がってきたんですね。だから生物多様性の頂点にいるコウノトリに出逢えたのは、僕にとってものすごく意味があるんです
去年の10月に引継ぎをして、年に数回の合宿の企画などこれからもっと色々やっていきたいと思っています。   

本を出版する+食育を伝える

-いろいろな方との出会いにより、今の金丸さんのライフワークはあるのですね。特に奥様の存在も大きいですね!??
それはすごく大きいですね。
自分の子が先生にいじめられて学校にいけなくなり、下の子は市販のパン等を食べるとアレルギーになり、その後、女房は乳癌になり…。いろんな事が重なって奄美諸島・徳之島へ移住する事になったんです。

それから、暮らしとか生活の本を書くようになりました。そういうことを書いているうちに、2005年に食育基本法が制定されました。

大分県に「食育事業をやるので食育をやりませんか?」と言われ、日本で初めて県をあげての食育事業を行うことになりました。その間も、日本全国周って食の現場に行きました。
また、NTT出版から「食育の本を書きませんか?」と言われ、僕は基本的に断らないので(笑)
引き受けましたが、当時、何をかけばいいのかわかりませんでした。

本を読んでも理屈っぽいものばかりで、基本法の成り立ちや、栄養バランスがどうとか…
結局、もう自分でやるしかないと思い、『15年やってきた農村ツアーを小学校でやるにはどうするか』
全て自分で書きだして、企画し、実際に幼稚園や小学校の授業やツアーやワークショップを実践してから
本を書くことにしました。


大分県もみな何をやっていいかわかってなかったので、12か月の食育計画書をつくりました。
他の学校の食育や、イタリアのスローフード、農家や、料理家、栄養士はそれぞれこんな食育をやっているといった具体的に写真で見せるパワーポイントを作成し、食材のテキストも最初に食育事業を手掛けた竹田市の若い人たちと作りあげていきました。
農家を開放し、料理人を入れて、食材の背景、がわかるテキストです。
こばたてるみさんと料理家の馬場香織さんと手がけた豊岡市のお米のワークショップは、豊岡市の若手職員と一緒に栄養価や料理はもちろんコウノトリの生態系などもわかるプログラム(コウノトリは環境に配慮した所でしか生息できない)にしていったものです。

パエリアを知らなかったサフラン農家

―今までいろいろ見てきたから
そういうアイディアに繋がったという事ですよね?
そうですね。食育基本法は食の文化を伝えるはずなのに栄養バランスばかりでは伝わらないと思いました。
―そうですね、それぞれの専門家が限られた視点だけで食育を伝えるから、一般の方はわけがわからなくなるのでしょうね。
ですから、農家での学習は「1年の中でほうれん草をいつ植えて、いつ収穫するのか、種類はどのくらいあって、どんな食べ方があるのか、どうしてこの時期に植えるのか…」など、いろんな視点で伝えなければなりません。

 ▲講演会の様子
ある時、大分県竹田市の観光課の方が「サフランでラーメンを作りたい」と言い出しました。
僕はそれだけではあまり面白くないと思ったので、サフランがなぜ100年も前からここで作られているのか、
どういう栽培をいつからやっているのか、どんなものでそれを使った料理はどんなものかを調べました。
そして、古い農家が、昔のままの姿で残っているのを知り、ラーメンを作るよりも、「ここの農家を開放して、ここにシェフ招いて料理を出した方が俺は面白いと思う!」と言ったんです。
すると、若い女の子達もこれに賛同してくれ、やることに。やってみたら、「すごく楽しかった。」と言ってもらえました。                  
100年前の姿の農家の庭で、竹を切ってお皿にした上にパエリアを盛り、景色を見ながら食べるのがホントにいいんですよ。
当時こういう事を誰もやっていなかったので、これが食育だ!と本に書いたら、総務省に伝わり、一緒に事業やりませんか?といわれ、そこから仕事の幅が広がりました。
―金丸さんの強みはいろいろな地域を見て歩いていること、そしてその情報をしっかりと書ける事。インプットとアウトプットが上手いことですね?
今までは取材して言われたことを書くとか、演劇を見て書くなど人の事を書くことが多かったのが、今は自分でやった事を書いていく。行動・運動・出版のセットになった本を書くようになりました。
そこにオリジナリティーを作っていく。
出版する事によってきちんと形に残る。そしてプロモーションをかける。そういうやり方をしてきました。
―いろんな事をなさっていますが、その中で一番大きい仕事は何ですか? 
今はアドバイザーが一番多いかな。その次が講演です。
―本もたくさん出していますよね?
はい、しかし出版業界で本全体が落ち込んでいるのと、専門的な本だから、そんなに部数は多くないです。
自分が関心があること、興味あること、なんだろうと思うことを、そのままずっと本にしています。
あるときは演劇、あるときは映画、あるときは島暮らし。
そして今は、食育や環境や地域づくりといった具合に。
―お名刺には「食環境ジャーナリスト」「食総合プロデューサー」という肩書きがありましたが…
食を調べていくうちに、日頃有機野菜を摂っていても、子ども達が他の家に行って食事をするとアレルギーになってしまうという現実につきあたりました。自分たちが欲しいものだけを買っても、子ども達の食環境は良くならないんですね。だから環境の視点から食について調べて発言し、書いていこうと『食環境ジャーナリスト』という肩書きにしたんです。
僕の中では豊岡のコウノトリが戻るという事と食を書くことは繋がっているんです
食総合プロデューサーというのは、国や県の食育や環境の全体のプロデューサーをしているからつけました。
―今まで、経歴の中でいろいろなお仕事をしていき、流れの中でご自分のお仕事の方向性を決めてこられたと思いますが、たくさんの所へ行き、出会った方々との思い出や、自分の中で一番感動した事はなんですか?
感動したことはたくさんあるのですが、全国周って食に関わるようになり、今まで全く知らない人と出会う様になった事ですね。出会いは全て面白かった。
最初に出会った岩澤信夫さんに、ゼロから稲作の栽培から収穫までと田んぼの仕組み教えてもらった事が僕のベースです。最近、昔に関わった大分県のしいたけ栽培農家の方に十数年ぶりにお会いしましたが、当時、彼が細かく教えてくれたから、今もしいたけの事がわかります。
また、お米の農家や醤油屋さんなど十数年かけて全国800か所巡ったため、今行ったら大体がわかりますよ。
だから、食育を組み立てる時に、例えばしいたけを使う。子ども達や親がしいたけをもぎ取って、それを料理する。
全体の事を見て、知っているからこそ伝えることができる。これをあちこちで伝えてきました。

そうしたら、内閣府と農水省に声が届いたのです、これらは全て嬉しかったですね。
―各地を巡りお忙しい日々をお過ごしのことと思います。そんな中でも地域の美味しい物は召し上がると思うのですが、普段、運動はされていますか?
毎日一応1時間は散歩しています。
―そうなんですね、素晴らしい!!
朝、5時に起きて、女房に「歩くわよ」と言われ歩いています(笑)
―仲いいですね。お食事には気を使っていますか?
あまり油物をとらない、野菜をとり、お酒をなるべく控えるなどはしていますね。
昔家族と離れて暮らしていた時は、深酒して朝起きられない事もありました。
今、会う人は仕事仲間なので、昔ように遊び仲間で愚痴を言い合う事もなくなりました。
前向きな人と共にいる事も大きいですね。
例えば、豊岡の食のワークショップの時も、いわゆる選抜メンバーで、一緒の方向を向いて仕事する。
飲み会の場合も次は何をしようか?という前向きで次のステップとなる飲み会になっています。
―では、金丸さんのご趣味はなんですか?
趣味は旅と料理ですね。
―ご自分でお料理もなさるのですね?一人の時はどんなお料理を?
毎週オレンジページを買って何作ろうかな?とやっていました。また、子どもが高校生の時は友達を連れて来る時に自分がご飯を作っていたんですよ。子どもに「また一緒の料理なの?この前も出したじゃん」と言われるのでムッとするんですが、そうやって鍛えられましたね。
―いま、お仕事も右肩上がりで、忙しさもどんどん拡大されていると思うんですが、金丸さんが一番大切にしている事はなんですか?
家族とのコミュニケーションですね。そこがないと、動けないですからね。
―なるほど、そうですね。

これからの夢

―それでは今後の夢、目標はなんですか?
町作りなどに関わり、小さい食の環境作りが政策に取り上られるようになってきました。
それが、一つの行政や地域の形になる事が目標です。
豊岡のメンバーで、とても若い人たちと、県が一つになってコウノトリを放鳥させた。その豊岡市の若い役場やJAの職員とエコロジーと健康と料理を一致させた食のワークショップを秋葉原でできた。あれだけの事をやれたというのは、目指している方向が一緒だからだと思います。
それがもっと広がる事が一つの夢ですね。これがグローバルゼーションになることだと思います。
―ところで金丸さんの息子さんが「お父さんの仕事を見習って、お父さんの様になりたい。」
 と言っていたのを聴き、感動しました。
僕もびっくりしました。
子どもが小さい頃学校へ行けなくなり、女房は癌になり入院し、毎日涙が出るほど辛かった。何でこんな事になってしまったのかと…

でも泣いても仕方がないと考え直し、ガンやアレルギーには社会環境や食べ物が関係しているならそれを何とか変えたい!と思うようになったんです。子ども達に「小さい事だけど、お父さん、ずっとやってきたよ!」と伝えたいと思っていました。
実際に環境に配慮した食育など、やってきた事が県や国にやっと届いて、今がスタートです。

▲馬場香織さん・金丸さんと
―小さな活動でも続けると大きな波になるんですね。金丸さんのお話を伺って再認識しました。
これからも環境に配慮した豊岡市(コウノトリの野生復帰など)をはじめとする、様々な地域の取り組みを食環境プロデューサーとして、たくさん発信していって下さい。
今日はお忙しいところありがとうございました。

編集後記

「食育フェア」に出展した弊社ブースで、金丸さんにお目にかかったのが2005年1月。
その後、勉強会やお仕事でご一緒させて頂くうちに、
金丸さんの周りにいつも多くの方達が集まる理由がわかった気がします。
換言するならば、金丸さんの「人間力(人としての素晴しさ)」が人を惹きつけてるのでしょう。
そしてその金丸さんの「人間力」に磨きをかけてらっしゃるのが、ご家族です。
金丸さんが「仕事をしていく上で最も大切なものは家族」と断言するほど、本当にステキな奥様とご子息様。良い仕事をし続けるためには、常に自分の周囲の環境を整えておくことが大切なのですね。
また、ご一緒にお仕事ができる日を楽しみにしています。                   ☆こばたてるみ☆


第13回食育アドベンチャー®ワークショップお知らせ

金丸氏が講師としてご出演くださいました、食育指導者向けセミナー「食育アドベンチャー®ワークショップ指導者ブラッシュアップセミナー」終了しました!

 第13回食育アドベンチャー®ワークショップ 指導者ブラッシュアップセミナー 報告ページ 
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