対談/vol.1

しょくスポ対談

vol.1 樋口 満 さん

記念すべき第1回のゲストは、私こばたの“恩師”である樋口満先生。「スポーツ栄養といえば樋口先生」といっても過言でないほど、その実力と経験の持ち主です。そんな先生に、これまでの経験や自身が大切にしていること、そしてスポーツ栄養のみならず、仕事を極めるために大事なことを伺いました!

樋口 満(ひぐち みつる)


早稲田大学 スポーツ科学学術院教授/教育学博士
1978年 国立栄養研究所(現 独立行政法人国立健康・栄養研究所)健康増進部研究員。
同研究所の室長、部長を経て2003年より現職。
研究項目:健康増進/生活習慣病予防/運動生理・生化学/スポーツ栄養学

※プロフィールは対談公開時(2006年11月1日)の
  ものとなります。

はじめに

−現在のお仕事は?
大学では学生に対して基礎的な栄養学、生化学、それから運動生化学の講義を。ゼミではトップアスリートの学生に役立つスポーツ栄養の知識と実践を教えています。また大学院では、人を対象とした研究と動物を対象とした研究両方を行っています。動物実験は主に糖の代謝、あるいはスポーツの持久系パフォーマンスに関係するグリコーゲンの消費や、それの節約などが主な研究です。人を対象にした研究は中高年、あるいは学生アスリートを対象にして身体組成と基礎代謝の関係を見る研究を行っています。
−その他にも何か活動をされていますか?
はい。日本体育協会のスポーツ医科学専門委員会の「スポーツ食育プロジェクト」や、国立健康・栄養研究所と一緒に行っている中高年のスイミングの健康効果などを行っています。
分野的には健康の保持増進からスポーツ選手のコンディショニングに関わる生理学的、生化学的、栄養学的な分野での研究ですね。

▲早稲田大学研究室ゼミ合宿で講師と記念撮影

まぁ、運が良かったと思います(笑)

−樋口先生は今までにいろいろな経験があって、そして今ここにたどり着いたと思いますが、そもそもこの仕事に就かれたきっかけはなんですか?
もともと大学では生化学の研究室にいたんですけれど、これはどうもノーベル賞は取れそうもないと思って(笑)。そこで当時の体育の先生が、「お前はボートばかりやっている体育会系だから体育の方に進め」と言いまして、それで東大の大学院に入ったんです。そこで運動生理学等を勉強しました。ただその時は多くの人がアスリートを対象にした研究をしていたのです。でも私はそれよりはもう少し健康に関わることや、子どもの発育発達に関わることがしたいと思っていたんです。まぁ、結局大学院では十分にこのようなことができなかったんですが。でもその大学院に行っている時に、今の国立健康・栄養研究所(以下、栄研)から「運動生理学の研究テーマがあるので一緒に来てやらないか」と誘われ、そのまま研究員として採用していただいたわけです。
−私がのちに樋口先生と出会うことになる場所ですね。
そうです。
その頃、栄研の研究は不足の栄養学から過剰の栄養学にシフトしてきて、健康増進という視点が入ってきたんです。しかし栄養の専門家ばかりの研究所だったわけですから、運動生理学を研究する研究員がいなかった。ですので研究員として採用していただいたんです。まぁそれは、運が良かったかなと思います(笑)。だから栄養研究所の中で非常にマイナーというかユニークな分野の、運動生理・生化学を続けて研究しようと思ったわけです。
そこで、とりあえず10年くらい頑張ろうと思ったんだけど、まあ居心地がよかったのか結局25年もいました(笑)
−樋口先生らしいですね(笑)
その途中、アメリカ、セントルイスのワシントン大学に留学して、そこで偶然と言うか、実は第3希望で行ったんですけど(笑)、偶然スポーツ医科学の世界的権威の先生のところに行き、その時にすごく勉強しました
アメリカにいる時は動物実験で運動と活性酸素、運動による適応ですね、活性酸素を除去する適応機構という研究を世界で初めて行ったので、日本に帰ってからもそのような筋肉の生理学、生化学をやろうと思っていました。
またもう一方で、人を対象にした研究をやらなきゃいけないなと思っていました。それは中高年の人たちを対象にした、特に約25年前はジョギングがブームでしたから、そういう走っている中高年を対象に運動の健康増進効果、今でいう高脂血症や糖尿病などの生活習慣病予防を研究してきました
だから唯一どれというと難しいけど、動物実験ではそういう活性酸素の問題とか、糖代謝ですね。
そして人を対象とした健康増進の効果の両方を柱として研究してきたんです。

▲ワシントン大学医学部(セントルイス)の恩師・ホロツイー教授と
研究室の仲間たち

思わぬ出会いがあって、そこでうまくきっかけを掴んだ

−最初の頃は、健康増進の研究がメインのようでしたけど、最近ではトップアスリートのコンディショニングに関わる分野である、スポーツ栄養まで発展されてきていますが、それはいつ頃からですか?
栄養研究所だったので栄養士さんの出入りがあったんです。そこでスポーツ栄養を勉強したいという栄養士さんが何人かいたんです。世界的にもスポーツ栄養がだんだんと浸透してきた頃で。そこで、ボランティア活動という感じで一緒に外国のスポーツ栄養の文献を読んだりしていたわけです。でも、あくまでそれはボランティアというつもりで
でも今となっては仕事の半分以上はそれかもしれないですね(笑)。そういうことになるとはまったく想像していませんでしたね。
でも、そういうものじゃないかなって思いますね。最初に思ったとおりに人生進むわけではなくて、思わぬ出会いがあって、そこでうまくきっかけをつかんだというか、はめられたと言うか(笑)、こういうことになってしまうという。でも別に不満があるわけじゃないし、けっこう満足して楽しくやっています。だいたい予想通りに行かないのが人生だし、ボランティアと思っていたことが結構大きな仕事になったり。
でも、栄研ではもともとスポーツ栄養というのはやってはいけない仕事だったと思います。


−どうしてですか?

▲安曇野のわさび田にて
セントルイスの研究室OB(左)カーテイー教授(右)中谷昭教授
栄研は国の研究機関であったし、あくまで健康増進の中の運動生理が仕事であったわけですから。
厚生省はスポーツと言う言葉を使うのは嫌っていたんです。今でこそ受け入れられていますがね。
だからあくまでもスポーツ栄養は時間外のボランティア活動で、こそこそやるんです(笑)
でも、研究所をやめる数年くらい前はそういうことを堂々とやってもおかしくない状況になっていました。

出会いを大切に、そして信頼される人間に

−でもお話を伺っていると、やっぱり人との出会いがすごくその後に影響を及ぼしているようですね。
 では、先生として一番大切にしていることはなんですか?
やはり、その「出会い」ですね。一期一会という言葉もありますけど。やっぱり出会いが大事なんじゃないかなと思います。思わぬ出会いが。
人と会うというのはなかなかあるチャンスじゃないと思います。偶然というか、まぁ必ずしも全くの偶然ではなく、必然があってそういうチャンスがあるんじゃないかと思うんだけど。でもそういうことを大事にしたいなぁと思います。
−私も同感です!
だから私の基本的な考えは来るものは拒まず。去るものは追わず。
どうしても来たいという人には出来るだけ誠意をもって接する、そこが一番大事なんじゃないかなと思っています。
あとは信頼される研究者。もっと言えば信頼される人間になっていきたい。
研究者としてもちゃんとした研究をして、「彼がやっているのはきちっとした研究だ」という信頼を得られる。
私と一緒にやっていた人にもそういうことで信頼される研究者になる。そういうことを目標にしています。
−信頼されるということは努力すると言うことだと思いますが、どういった努力を?
やはり誠意をもって接する、ですね。

うまく繋げる立場、それが私の『役割』

−今、スポーツ栄養をやりたいという栄養士がすごく増えていますし、昨年食育基本法が制定され、食育もかなり注目されています。 ただ、ブームで終わってしまう可能性もあると思うのですが、それをしっかりと根付かせ、発展させていくために大切なことを教えてください。
花火を打ち上げてそれで終わるような形じゃなくて、結局「食」と言うのは朝昼晩行うもので、日常なわけですよ。
それを定着させていくことが大事だと思うんです。そしてそれと運動を結び付けていかなければいけない
一過性のイベントをやって終わりじゃなくて、毎日の中でよく体を動かし、お腹がすいて美味しく食べる、そこに喜びもある、というのを理解する。
日常生活の中での運動と栄養、両方を考えなければならないんじゃないかなと思います
でも現実に一方では食事だけとか、運動だけとか、そういうところがありますよね。栄養関係の人は食育だけ、運動関係の人は運動だけ。
でもその両方をうまく統一する、繋ぐことをやらないと本当に子どもの健全な発育発達も望めないし、子どもだけじゃなく、大人でも中高年でも同じことが言えます。そういうことを考えると、私の立場はこれまで両方のことをやってきたし、そこをうまく繋げる立場であると思うので、今、スポーツ栄養・スポーツ食育を日本の中で具体化して、それが重要だと多くの人にわかっていただけるようなプロジェクトをやっていきたいんです。
−私も、やはりそこが大切であり、まだまだ難しくて未開発な部分なんじゃないかと思います。
理論的としてはいろいろ分かってきていますが、結局それを末端まで浸透させるには、非常に時間がかかると思うし、労力もかかると思います。
是非、いい形になるようにしていきたいですね。
もちろん、それは私一人でできるわけでは当然ない訳で、スポーツに対して良く理解している栄養士さんとか、
逆に体育系の人について言えば食事についても理解している、そういう人たちが一緒になって行い、それを私がサポート出来れば一番良いのではないかと思います。「一人で」ではなくて「できるだけ多くの人」が、そのようなことに関われる。そういうシステムを作れるといいと思います。
−システムの場の提供ですね。
はい、そうです。

『楽しく』、まずこれが大事

−それでは、樋口先生の食に対するお考えを教えてください。
やっぱり「美味しく」、そして「楽しく」食べることなんじゃないかなと思う。独りで食べるのはあまり楽しくないし、いくら美味しいものでも一人で食べても美味しくない。多少まずくても皆と一緒にたべれば結構美味しくなるじゃないですか。そこは大事だと思っています。
あとはもちろんよく体を動かすこと。それも仲間や家族とか、そういう人たちと一緒に楽しくやるんです。
よく体を動かし、それでお腹も空いて美味しく食べる。「楽しく」は食事だけでなくスポーツも一緒。まずこれが大事。かつ健康がそれに当然ついてくるもの。こういう考えです。
−ご自身としては美味しく食べる環境が整っていますか?
なかなか整ってはいないけれど・・・でも最近いろんなところで言われている『早寝早起き朝ごはん』。
これ、前から私も言っているんですけど、それは実践しています。
朝5時から6時の間に起きて、朝ご飯を食べる。お昼は11時30分から12時の間にお腹が空きますからそこで食べる。そして、夕方6時過ぎるとビールを飲みます(笑)。ビールを飲んで、食事は8時くらいにして、10時位には寝ちゃう。だいたいこんな感じで規則正しい。
あと運動については、平日は学校の授業などで出来ないので、歩ける時は歩く。あとは週末にジョギングするとか。午前中もし暇があったらそのような時にもジョギングをするとか。
あとは月に1回とか2回はボートを漕ぎに行くようにしています。
−樋口先生は昔から『ボート』をやってらっしゃいますものね。
今は世界マスターズ選手権というのにも出ていますけど、海外で行われる大会にも選手として出たり、あるいは同行したり。 研究的な視点から参加したりしています。
−お食事は規則正しいのですが、どなたかと一緒に?
うちではだいたいかみさんと一緒に。夜は私の帰りがあんまり遅いと先に食べちゃっていますけど(笑)。

▲世界マスターズ・ボート選手権(プリンストン、USA)にて

自分が実践できないことは人に教えられない。でもそれは義務感ではなく“楽しんで”

−やはり人に言っていることを実際に実践している。 そこが信頼される研究者になりたいということに繋がりますよね。
やはり自分が実践できないことは人に教えられない
例えば大学で栄養学を教えていて、BMI(※1)25以上が肥満と言っているのに、自分がBMI25以上だったらまずいじゃないですか。なのでなんとか24台を保ちます(笑)。
今回発表された運動基準(※2)でも、一日30分は運動するなどいろいろ言うわけですから、それはやっています。
やっぱり自分も実践する。そして人に言うべき時は言う。でもあまり強制はしたくないんです。
理解していただいて、納得して実践してもらえれば良いと思っています。
自分で出来ないことを人に言うのはよくないと思うから自分もやる
でもそれは義務感でやるのではなくて、楽しんでやることを心掛けています

▲ローイング・エルゴメータによる最大酸素摂取量の測定

スポーツ栄養の道はオフロード、粘り強く継続して進んでいって欲しい

−最後に“スポーツ栄養と言えば樋口先生”というように、本当にスポーツ栄養を極めてらっしゃいますが、仕事を極める上で大切なことなど、皆さんへメッセージをお願いします
極めると言うか、プロフェッショナルになるには“継続”ですよね。
普通に仕事をし、そしてスポーツ栄養的なサポートをボランティアでやったりしていて、本当に大変だと思うんだけど、本当に好きであれば継続が出来る。辛い時もあるでしょうけど。やっぱり継続することがまず大事なんじゃないかと思う。
特にスポーツ栄養士になりたい管理栄養士の方に言いたいのは、管理栄養士のプロとして、まずしっかりした仕事が出来るということ、それが大事。ちょっとブーム的になったり、ミーハー的になったり、それはよくないんじゃないかと思います。昨日も大学院に入って選手のサポートがしたいと言う学生が訪ねてきましたが、こういうケースは結構多いんですよ。
でもまず管理栄養士としてちゃんとした仕事ができる。つまり足を地に着けベース活動をしっかり行い、基礎をしっかり固めてからスポーツ栄養をやると言うのが大事なんじゃないかと思う。なのでスポーツ栄養のサポートをやりたいという人の将来を考えると、本当に管理栄養士の仕事がしっかりできる事。これをやらないでスポーツ栄養は成り立たないんじゃないか、こう思っています。だから継続が大事です。
いつも言っていますけど、スポーツ栄養の道はオフロードです。高速道路があるわけではない。
自分で道を切り開いていく、そういうものなので、オフロードを粘り強く継続して進んでいって欲しいと思います。
−樋口先生、ありがとうございました。

▲早稲田大学研究室ゼミ合宿でのハイキング記念撮影
※1:BMI・・・体重(体格)指数のことで、体重÷身長÷身長で算出される体重(体格)の指標
※2:運動基準・・・「健康づくりのための運動基準」。厚生労働省が策定した生活習慣病の予防のための成人向け運動基準。
           生活習慣病の予防に必要な運動所要量を日常生活の「身体活動」と、スポーツなどの「運動」に分け、基準値を示してある。

編集後記

厳しい中にも、優しさとユニークさを秘めた樋口先生。先生の下で学べた私はとても『幸運だった』と思います。でもきっとそれは必然だったと確信しています。15年前の出会いに感謝です!先生、どうぞこれからも宜しくお願いします! 
こばたてるみ
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